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フレンドシップラジオ創設者のタイガート宣教師が天に召されて、2015年1月でちょうど20年となります。

かねてより、先生を記念した何かを残したいと思わされていましたが、業務に忙殺されて願いが叶わないでおりました。
この夏に少しお休みを頂くことができ、この企画を実現する計画を立てることができました。
いつか手直しをする機会もあるかと思いますが、フレンドシップラジオの産みの親であり、ビジョンを私たちスタッフに
託して天に帰られた先生の記録を、webページに記載して公開させていただくことにしました。

この企画実現のための資料として、前フレンドシップラジオ代表のアルマ元TEAM宣教師(タイガート夫人)からご提供を
いただきました資料がとても大きな力となりました。
この資料を通して、時系列の貴重な資料に初めて接する光栄な機会が与えらましたことを感謝しているものです。
タイガート家の皆様の上に、天来よりの慰めと祝福を心よりお祈りさせていただくものです。

どうかご高覧下さり、フレンドシップラジオの宣教ビジョンや宣教の精神について、ご理解を賜わる機会として頂ければ
幸いです。


タイガート先生の軌跡



   フレンドシップラジオの設立背景を重ねて、タイガート先生の軌跡を略年表にまとめてみました。



     1946年   タイガート家の長男としてカナダに生まれる。


     1949年   ご両親が宣教師として日本に遣わされる。


     1955年   一時帰国した父君が「Microphone と Open Reel Tape Recorder」を日本に持ち帰る。


     1965年   父君が、当時軽井沢にあったFM局で福音放送をスタートさせる。


     1967年   父君を手伝って、軽井沢の自宅(現在の恵みシャレー軽井沢)に 簡易録音スタジオを設置し、
           『よろこびの歌』という番組を制作し、長野県、岐阜県、北陸地方の民放局で5年間放送する。


     1976年   宣教師として TEAM宣教団に加盟する。
           TEAM宣教団から太平洋放送協会での奉仕を任命され、沖縄で放送していた極東放送(現FEBC)
           に派遣される。


     1978年   太平洋放送協会の支配人(Director)に任命され、7年間奉仕する。


     1986年   当時USENで放送中だった英語音楽局KTYOと出会い、USEN東京本部の責任者を紹介される。

           24時間キリスト教放送の計画に着手し、24時間キリスト教放送とミニFM放送を接続した宣教
           方法について模索を開始する。
           
           フレンドシップラジオ設立準備委員会を設立し、東京OCCビル8Fにて「フレンドシップラジオ
           の夕べ」という説明会と準備祈祷会を開催する。


     1987年   10月20日(火)午前7:00、東京都世田谷区代沢5丁目のFRスタジオから、24時間キリスト教
           放送フレンドシップラジオの第一声が放送される。


           TEAM宣教団理事。JEMA理事。太平洋放送協会理事。クリスチャンアカデミー(CAJ)理事。
           新生運動(現 新生宣教団)理事。放送伝道協議会(現 伝道団体連絡協議会)理事等を歴任。


     1995年   1月14日(土)天に召される。


タイガート先生の遺産



 創設者の Steve Tygert先生は、戦後日本における「放送による宣教」の分野で活躍した宣教師でした。
 かつて軽井沢聖書学校(跡地は現在の恵みシャレー軽井沢)の校長として日本人牧師たちを指導された父君の情熱を受け
 継ぎ、ひとりでも多くの日本人にキリストの福音を伝えることに力を尽くしました。

 日本人がさらに福音に接することができるために、時間的・経済的な制約を受けないキリスト教放送局を開設することを
 夢見ていた父と子は、当時考え得るありとあらゆる方法について検証を重ねました。
 戦後当時のキリスト教放送は、短波や中波を通して早朝と夜間の数分間のみに放送される番組が大半で、長くても1時間
 ぐらいの番組枠しか確保できない状況でした。もちろん、インターネットも衛星放送もまだ登場していない時代です。

 "スイッチを入れるといつでも聖書の話が流れている。"  そんなキリスト教ラジオ局の構想は膨らむばかりでした。

 自由で独自の番組編成、クリスチャンによる生放送、そして24時間放送・・・。
 彼の描いた構想は、ようやく1987年10月20日のフレンドシップラジオ開局によって実現されたのでした。

 開局までの1年足らずの期間に、資金と人材の確保・番組制作と編成作業・スタジオの建設と放送システムの確立など、
 膨大なメニューを淡々とクリアしながら前進する姿を通して、「宣教に取り組むことへの真剣さや誠実さの重要性」を、
 強烈に示して下さいました。
 大平洋放送協会の支配人を退き、わずか2年の間にこの放送の立ち上げが実現したのは、親子2代にわたる情熱と祈りが
 途切れることがなかったからと言えるかも知れません。

 1995年1月。仕事を続けながらの4年あまりにわたる闘病生活の末、S.タイガート宣教師は天に召されました。

 先生の築かれた有形無形のその遺産によって、現在のこの働きの原点が確立され、進むべき宣教の方向性に確信が与えら
 れたことは間違いのない事実です。
 複雑な時代にあって、メディア宣教も荒波にのまれるような局面にあります。しかし、かつて先生が記された記録や書類
 に目を通すとき、時代を超えて通用する原理原則が確かにあることを知らされます。
 それをどのように適用するのか?が、後に残された者たちの取り組むべき課題と受け止めているものです。

 宣教は、時代のブームやトレンドとは関係のないことであり、2000年以上キリスト教会が受け継いできた重要な役割で
 あり、現代を生かされている私たちに委ねられている使命でもあります。
 福音が誰かによって歪められることがあっても消去されることがあり得ないように、宣教を担う教会や働きが消えること
 はありません。宣教の働きがスタートしそれを受け継ぐ者がいる限り、そのビジョンと精神は、継承されて具体的な形と
 なり、やがて実を結んでゆくのだと考えます。

 手探り状態での放送開始から2015年で28年となります。
 紆余曲折を経て、未だに開局当時と同じ遅々とした前進ではありますが不思議と守られて用いられ、継続して宣教に従事
 させていただくことができますことは、本当に感謝すべき大きな恵みであると思います。

 数少なくはありますが、タイガート先生の情熱と祈りを受け継ぐ残されたスタッフたちは、相変わらずこの放送を誠実に
 丁寧に継続することを願っています。
 それは、たとい一人であっても福音を信じ受け入れて欲しいという宣教の原点を見せていただいたからに他なりません。


肉声インタビュー集



 闘病生活を続けておられた1994年夏、タイガート先生に「声のインタビュー」を依頼することになりました。

 比較的体調の良い時に、少しずつご自分でテープに声を吹き込んで下さいました。

 翌年1月に天に召されることとなってしまいましたので、この音源が現存する最後の肉声となってしまいました。

 今回、再編集を施した上で、皆様にもお聴きいただけるように web掲載しました。

   (声のかすれやノイズ等、聞き取りにくい箇所があることをあらかじめご了承下さい。)





    Q.01:日本は暑い夏でしたが、今年はどのように過ごされましたか?     聞く(アイコン)



    Q.02:タイガートさんの国籍はどこになるのですか?     聞く(アイコン)



    Q.03:ご両親も日本で宣教師として活躍されましたが、どんな影響を受けましたか?     聞く(アイコン)



    Q.04:日本に来られてからの様子を教えて下さいますか?     聞く(アイコン)



    Q.05:なぜ、宣教師となられたのですか?     聞く(アイコン)



    Q.06:フレンドシップラジオ以前に、宣教師として日本でどのような活動をされましたか?     聞く(アイコン)



    Q.07:フレンドシップラジオは、どんないきさつで発足したのですか?     聞く(アイコン)



    Q.08:フレンドシップラジオの目的・ビジョンはどこにありますか?     聞く(アイコン)



    Q.09:フレンドシップラジオ開局当時の思い出をお話し下さい。     聞く(アイコン)



    Q.10:フレンドシップラジオ開局7周年を迎えて、一番の思い出は何ですか?     聞く(アイコン)



    Q.11:タイガートさんのご趣味は何ですか?     聞く(アイコン)



    Q.12:最近のご様子をお話いただけますか?     聞く(アイコン)



    Q.13:最近のフレンドシップラジオを、どのように見ておられますか?     聞く(アイコン)



    Q.14:お好きな聖書の言葉、そしてお好きな聖歌・讃美歌は?     聞く(アイコン)



    Q.15:フレンドシップラジオのリスナーに伝えたいメッセージはありますか?     聞く(アイコン)






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