1987年10月20日、フレンドシップラジオの本放送が始まりました。



 創設者の S.タイガートは、日本における「放送による宣教」の分野で活躍した宣教師でした。
 かつて軽井沢聖書学校(跡地は現在の恵みシャレー軽井沢)の校長として日本人牧師たちを指導した父君の情熱を受け
 継ぎ、ひとりでも多くの日本人にキリストの福音を伝えることに力を尽くしました。
 
 日本人がさらに福音に接することができるために、時間的・経済的な制約を受けないキリスト教放送局を開設することを
 夢見ていた父と子は、当時考え得るありとあらゆる方法について検証を重ねました。
 その当時のキリスト教放送は、短波や中波を通して早朝と夜間の数分間のみに放送される番組が大半で、長くても1時間
 ぐらいの番組枠しか確保できない状況でした。もちろん、インターネットも衛星放送もまだ登場していない時代です。

 "スイッチを入れるといつでも聖書の話が流れている。"  そんなキリスト教ラジオ局の構想は膨らむばかりでした。

 自由で独自の番組編成、クリスチャンによる生放送、そして24時間放送・・・。
 彼の描いた構想は、ようやくフレンドシップラジオによって実現されたのでした。

 資金と人材の確保。番組制作と編成。スタジオの建設と放送システムの確立など膨大なメニュー。
 大平洋放送協会の支配人を退き、わずか2年の間にこの放送の立ち上げが実現したのは、親子2代にわたる情熱と祈りが
 途切れることがなかったからと言えるかも知れません。

 1995年1月。仕事を続けながらの4年あまりにわたる闘病生活の末、S.タイガート宣教師は天に召されました。

 手探り状態での放送開始から2012年で25年。
 宣教を取り巻く状況は当時と大差なく、人心はさらに荒廃する方向に進んでいるように感じます。

 しかしたといそうであっても、彼の情熱と祈りを受け継ぐ有志たちは、相変わらずこの放送を誠実に丁寧に継続すること
 を願っています。それは、たとい一人であっても福音を信じ受け入れて欲しいから・・。

 たくさんの出会いと別れそして困難と喜びがありましたが、リスナーからの温かい励ましや支援者からの祈りと援助に支え
 られて、放送はこの瞬間も世界中の日本人同胞に向けて流されています。


創設者スティーブ・タイガート宣教師の思い出



 フレンドシップラジオの歩みを改めて辿ってみると、「まことの神が今も生きて働かれていることが事実であること」
 「神は信じる人間に信仰を与えご計画に導かれること」「その人間にふさわしい方法でそのご計画を実現されること」
 を畏怖の念を持ちつつ見る思いがします。

 フレンドシップラジオを創設したスティーブ・タイガート宣教師(TEAM宣教団)が、その働きを実現させる計画を
 立てるに至った1986年当時は、まだインターネット技術やパソコンが普及していない時代で、「マルチメディア」と
 いう言葉だけが一人歩きしているような状況でした。

 神のタイミングに狂いはないとは言え、私が勤務していた放送会社のサービスを利用したキリスト教チャンネル新設
 という大胆な試みを知った時、24時間キリスト教専門放送の実現を祈りつつ働いていた私にとっても、それは大きな
 チャレンジでした。

 あらゆる面で今よりもさらに未熟な私でしたが、その時点で感じ取れたタイガート先生は「宣教の熱意に溢れた信仰
 の人」だということでした。
 もちろん様々な知識や経験とそれを実現する技術をお持ちでしたが、そうしたこと以上に、神を疑わない強い信仰心
 が周囲に伝わってきました。まさしくリーダーにふさわしい器だったと言えるでしょう。とは言え、決して脂ぎった
 威圧的な様子はなく、静かなそして自然で自由な雰囲気が常にそこにありました。
 その信仰心と信仰姿勢は、父君であるアール・タイガート宣教師(元軽井沢聖書学校校長)の信仰生涯から学ばれた
 からだと推察しますが、同時にその生涯のどこかで「自我に死んで、イエスの似姿に変えられる」経験をされたのだ
 と理解するに至りました。

 フレンドシップラジオのビジョンや設立の経緯をタイガート先生から直接伺ったのは、フレンドシップラジオで奉仕
 を始めて3か月程経た頃でした。夕暮れの代沢スタジオから井の頭線の池ノ上駅までを歩きながら、お話を聞かせて
 いただいたのが最初でした。その後、折に触れてメディア宣教やコンテンツ制作のビジョンをお分ち下さいました。

 順風満帆の状態でこの働きが継続できたのではなく、常に多くの困難に囲まれながらの歩みでした。その中で学ばさ
 せられた多くの事は、闘病生活の中での奉仕を続けられたタイガート先生のお姿を通してでした。


 『その方法でしか接することのできない人に、何とかして福音を届けたい。』


 タイガート先生がこの働きに遺されたメッセージは、そんな口癖に集約できると思います。



 今年に入ってよく思い出すのは、先生が闘病中リスナーに向けて放送を通して語りかけた最後の言葉です。

 『イエスキリストを信じて受け入れて下さい。』

 この単純率直な宣教を忘れかけてはいなかったか? と迫られながら迎えた、25回目の誕生日となりました。


フレンドシップラジオの略年表



  1987年

       ・東京都世田谷区代沢5丁目の代沢スタジオにて24時間放送開始。

  1988年
       ・番組送出装置が、オープンリールの手動切替えから自動切替えに移行。
       ・放送聴取可能エリアが、首都圏から近畿圏の範囲まで拡大。

  1989年
       ・東京都杉並区和泉4丁目の和泉スタジオに移転。
       ・放送聴取可能エリアが、本州全域まで拡大。

  1993年
       ・番組送出装置が、オープンリールテープからコンピュータ制御のDATに移行。
       ・放送聴取可能エリアが、北海道から沖縄県の全都道府県に拡大。

  1995年
       ・創設者スティーブ・タイガート宣教師が召天。

  1997年
       ・開局10周年記念 公開録音番組イベント(岩渕まことさんコンサート)を開催。

  1998年
       ・埼玉県新座市あたご3丁目のあたごスタジオに移転。
       ・MacによるノンリニアHDレコーディング開始。
       ・Macによる番組送出により、完全自動化に移行

  2001年
       ・CSデジタル放送での24時間放送を開始。

  2002年
       ・開局15周年を記念して、HPを開設。

  2004年
       ・フレンドシップラジオの運営管理が、TEAM宣教団から無限責任中間法人ビー・ジャパンに移行。

  2005年
       ・東京都千代田区神田駿河台のお茶の水スタジオに移転。

  2006年
       ・理事会(現顧問団)、経営委員会設立。
       ・日本福音同盟(JEA)に加盟。
       ・24時間インターネット放送の試験運用を開始。

  2007年
       ・24時間インターネット放送の運用を開始。

  2008年
       ・東京都練馬区の仮スタジオに移転。

  2009年
       ・法改正により一般社団法人に移行。

  2011年
       ・有線での24時間放送を休止。
       ・夏期期間の節電放送を実施。

  2012年
       ・モバイルサイト(スマートフォン向け)を開設。
       ・開局25周年を記念して、メモリアルページを開設。
       ・夏期期間の節電放送を実施。

  2014年
       ・短波放送局 KTWRからの日本語DRM放送を実施。(3月~9月)
       ・フレンドシップラジオ創設者 故 S.タイガート宣教師のメモリアルサイトを開設。(10月予定)
       ・短波放送局 KTWRからの日本語アナログ放送開始。(11月~予定)




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